【高知城下の旧町名とその由来】
高知市中心地には、高知城築城400年事業の一環として、昔の暮らしや歴史、文化を感じることが出来る町名を後世に伝えようと、旧町名とその由来の乗った標識が設置されています。約90箇所にある標識を調査してみました。
【帯屋町】江戸時代初期、豪商帯屋勘助が住んでいたことに由来しています。
【播磨屋町】江戸時代初期、豪商播磨屋とかつ屋の間の堀川に橋が架けられ、それに通ずる道筋が通称『ハリマヤ丁』と呼ばれていました。
【通町】慶安二年に野中兼山により町割が行われ、まっすぐな一筋の通りになったため。当時は上町一丁目まで続く東西に細長い町でした。
【廿代町】橋の南東詰に住んでいた大工頭加藤治部の宅地が二十代(百二十坪)であったからとか、もとの字名とかいわれています。
【西唐人町】七町とよばれる古町の一つ、文禄元年、豊臣秀吉の朝鮮出兵のとき、長宗我部元親により土佐へ連れてこられた朝鮮慶高道秋月城主朴好仁ら三十人が、豆腐商いをする特権を与えられて、鏡川大堤上に住んだことに由来する町名
【鷹匠町】江戸時代御鷹部屋(将軍家の鷹狩りの用の鷹を飼育する部屋兼休息所)がおかれ鷹匠が住んでいたことに由来しています。
【升形】城下町がつくられたとき、集まった兵士の数を図るために造られた四角い広場が、升形と呼ばれていた名前が今も残っています。
『高知』の地名由来
南北を川に挟まれた地勢だったことから「河内山城(こうちやまじょう)」と名づけられた現在の高知城。度重なる洪水に悩まされ「河内山城」から同じ呼び名の「高智山城」、その後「山」が省略され、あてられた字も変わって現在の「高知」になったという由来がありますが、県内各所のさまざまな地名も、掘り下げてみると興味深いものが数多くあります。 皆さんのお住まいの地域にもきっとおもしろ由来の地名があるハズ?!
