【歴史探訪】龍馬脱藩の道をゆく ~後編~

那須親子と龍馬

龍馬脱藩の道をゆく ~後編~

 わずか1日で現在の高知県高岡郡梼原町に着いた龍馬たち。
いよいよ土佐藩(高知県)から脱藩する舞台となった地、梼原町の龍馬にまつわる名所をご紹介していきます。

六志士群像

5.維新の門群像

 梼原町にゆかりのある六志士と、この地を通って脱藩した坂本龍馬、沢村惣之丞を併せた八人の銅像が建立されており、梼原という場所が時代の変わる1つのきっかけとなったことを実感できる場所となっています。 躍動感あふれるその姿からは、幕末を駆け抜けた志士達の力強さを感じる取ることができます。

所在地:高岡郡梼原町川西路

六志士の墓

6.六志士の墓

 10分ほど歩いた場所には六志士の分霊が祀られたお墓があるので、彼らの決意や生き様に思いを馳せながら参拝することができます。

所在地:高岡郡梼原町梼原1561

神幸橋

7.三嶋神社・御幸橋

 脱藩の折、龍馬が参拝したとも言われる三嶋神社へと続く木製の橋で、使用されている木材は梼原町産のものが使われています。
橋の入り口から三嶋神社を望む景色は、まるで別世界への入り口のような神秘的な雰囲気が漂っています。

所在地:高岡郡梼原町川西路2196

宮野々関所跡

8.宮野々関所

宮野々関所は、嘉永六年(1629年)に設置され、明治の初期まで片岡氏が世襲の番所役人を勤め、通行者を検問した。龍馬脱藩の際もこの近くを通ったといわれています。

所在地:梼原町宮野々

茶屋谷茶屋

9.茶や谷茶堂

 梼原には古くから「遠くから訪ねくる者は厚遇すべし」という客人(まろうど)信仰が受け継がれております。
当時より茶堂は旅人を茶菓子でもてなす場と共に、文化交流・情報交換の窓口として重要な役割を果していたそうです。
現在梼原には13箇所の茶堂が保存されていますが、なかでも茶や谷の茶堂は長宗我部時代の地検帳にも載せられている大変古い茶堂です。
龍馬が脱藩の道に梼原を選んだ理由として、旅人を大切にする梼原独自の風習が影響しているかもしれませんね。

所在地:高知県高岡郡梼原町

韮ヶ峠

10.韮が峠

 韮が峠は、高知県と愛媛県の県境にある峠です。文久2年(1862年)3月26日昼頃に坂本龍馬、沢村惣之丞、那須俊平、那須信吾は韮が峠に着いたと言われています。この峠を越えれば脱藩となり、監視に見つかれば命を落とすこともあり得る危険な場所となります。

所在地:梼原町井高

土佐藩を脱藩した龍馬は、日本各地を奔走し、亀山社中の結成や、薩長同盟の成立などに貢献しました。 明治という新しい時代の日本を見ることなく慶応3年(1867年)11月15日に京都近江屋で殺害されました。

龍馬のように高い志と行動力、現状に満足しない姿勢は、現代の私たちも見習わないといけませんね。

すみゆうvol.15 より